小1のレッスン。

ピアノランドメソッドの「ゆびおい」の時に、ト音記号の右手とヘ音記号の左手の係が意識できずに勝手に別の手が動いてしまう。

 

ト音記号は右手 

 

ヘ音記号は左手

 

とわかっているのに・・・

 

 

今、芳野香著 アレクサンダー・テクニックの使い方 「リアリティ」を読むを読んでいる。

「無意識」と「過度の合理化」という項目

 

勝手に動くのはミスタッチもそうだ。

 

正しい音もわかっている、その鍵盤がどこにあるかもわかる。

なのに、どうして隣の音に指が行くのか。

 

わからなくなる=無意識に別のことを行う。

 

ここがどうも腑に落ちていない。

 

 

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何が起こっているかなどの情報が大幅に欠落していることが多い。

つまり、具体的なものがみな「死角」になっているのだ。・・(略)・・

その「死角」は「無意識」と呼ばれたりする。文字で書くと「無」であるが、本当に「何もない」わけではない。

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ここで言っているのは、ついやってしまう演奏上の悪い癖についての話ではないが、

からだ、脳のエラーであることは同じなのかなと思って読み進める。

 

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この場合の「無意識」は「やっているつもりのない行動」に対する認識で、行動そのものではないく「行動に対する認識(意識)の欠如」を意味していると考えられるだろう。あるいは、行動そのものには認識があるが、「それがどういうことなのか」という認識が欠けている場合もある。

「無意識という意識が存在している」ことの発見は「ゼロ」の発見に似ているのかもしれない。

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その「無意識」の行動が癖になってしまうことの話が後に続く。

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「正当化」という名の「隠蔽工作」である。

行動は「その行動が認識されたときの認識」に依存するのものである。

・・(略)・・

「以前にもこんな感じだったはず」と感覚のみに頼った再現やそのときに用いられた言葉などに認識が固定化されてしまった場合、

それ以降の感覚入力(体験)は基本的に感知されず、ゆえにその時々の状況に対応せずに最初の記憶の粗雑なコピーしかできなくなることがある。

 

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たぶん、こうだったはず、の粗雑なコピー

それがミスタッチか。。

マエストロ・プロフォンドの「すてきにピアノ」第3巻 完璧な練習法

に「あっ!間違った」は残る!とある。

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君のしたことは、全部記憶に残るんだということを忘れずに 正しい弾き方と同じぐらいちょっとした間違いも残るんじゃ

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右と左を間違えた経験が残り、たぶんこうだったはずと「無意識」に出てくる

ミスタッチも以前に一度は譜読みを適当に考えて弾いてしまったということか・・

新しい曲に対して、ピアノを弾かないで譜読みをして、わかってから弾くと確かにミスタッチは大幅に減る。

そういうことか。